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2002年4月から2004年7月までカンボジアのシェムリアップに住んでいました。 当時Web上で書いていた日記をここで公開したいと思います。 ある人は、「人には、そのときにしか書けないものがある」と言います。 またある人は、日々の記録を残すことがいかに大切なことかを教えてくれました。 今、シェムリアップはだいぶ変わってしまったけれど、この日記には当時の街の様子や自分の毎日の生活、体験、思考が記録として残されていて、たまに読み返してはまるで夏休みのようだった2年と3ヶ月に思いを馳せています。 居心地の良かった自分の部屋や、バイクで走っている時の風。生徒達の笑い声。街の騒音。アンコールの森。水田の向こうに沈んでいく夕日。激しいスコール。トンレサップのにおい。カエルの合唱。そして人々が話すクメール語の響き。 私が書いた1年半分の日記は、たくさんの記憶の一つ一つを鮮明に思い出すための手助けをしてくれます。 この日記は当時アンコール遺跡群フォトギャラリーというサイトで書かせてもらっていて、私が帰国後も「過去の日記」として同サイトに置いてもらってました。しかしサイトの内容変更と、私がようやく自分のブログ(みわこのカンボジアあれこれ)を始めたことをきっかけに、シェムリアップ通信も独立させることにしました。 「過去の日記」ですので、コメントはいただけないようになってます。ご了承ください。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:20
| このブログについて
昨日は満月でした。こちらに来てから増えた楽しみの一つが「満月の夜」です。なぜって明るいから。月って本当に明るいんですね。東京に居た頃は気付きませんでした。 シェムリアップはいかに観光地といえども(かなり)田舎です。ちょっと街を離れると周りは田んぼだらけ。電気も通っていないので夜は真っ暗です。私の自転車はライトが付いていないので(正確には付いてるけど壊れているので)夜道は本当に怖い。見えないんです、道が。穴があってもはまるまで気付かないでしょう。でも満月の夜は違います。自転車のライトがなかろうが、家の明かりがなかろうが、へっちゃらです。 以前満月の夜にバイクでバコン寺院へ行ったことがあります。国道6号を走っているときに、周りの田んぼや遠くのヤシの木が見えるのに驚きました。もちろん電気のおかげで見えるのではありません。(通ってませんから。)月明かりで見えるのです。ためしにバイクのライトを消してみました。見えるんです。道が。しかもはっきり。思わず「すごーい!」と叫んでしまいました。 ここに住んでいると太陽や月の偉大さに気付かされます。暗くなるのは本当に太陽が沈んでいくからなんだなぁ。って当たり前のことに感心したり。東京に居た頃は遠かった太陽や月を今はすごく身近に感じるようになりました。早く次の満月の日が来ないかなぁ。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:16
| 2002年12月の日記
明後日はもうクリスマスイヴですね。日本はさぞかしキラキラウキウキしていることでしょう。私もウキウキしたーい… ということで、行ってまいりました、クリスマスパーティ@Chaiマッサージ。私の生徒がChaiのマネージャーを勤めているので招待してくれたのです。Chaiといえばソフィテルホテルの正面に店を構えるシェムリアップでも「高級」の部類のマッサージ店。(←あくまで私のイメージ^^;)一体どんなクリスマスパーティなのかしら…ウキウキ。 招待状にはPM7:30~と書かれていたのですが、カンボジア式に一時間ほど遅れて到着。マネージャーは表で待っていてくれました。すみません… パーティは屋外で行われていました。たくさんの丸テーブルに10人くらいずつ座って呑んだり食べたり。そしておきまりのカラオケ。 …あれ?普通の結婚式のパーティと同じじゃん…いやいや、クリスマスパーティなんだからツリーくらいはあるだろう…と、辺りを見回したけど、それらしい物は発見できず。いやいや、クリスマスパーティなんだからクリスマスソングくらい流れるだろう…しかし待っても待っても聴こえてこず。クリスマスソングのかわりにカンボジアンソングがひっきりなしに流れています。そして大音響のカラオケ。 …そうか。クリスマスが近いから「クリスマスパーティ」って名前だけど、やっぱりやることは毎回同じなんだな…ちょっとがっかりしたけど、みなさん(招待客はガイドさんばっかり)呑んで歌って踊って、とても楽しそうで何よりでした。 私は1時間半ほど呑んだり食べたりして辞退。私のアパートはたいてい夜10時には門が閉まります。それ以後の帰宅はベルを鳴らして開けてもらわなければなりません。大家さんに申し訳ないので休みの日でも10時前には帰るようにしているのです。マネージャーにお礼を言って我が家へ。しかしChaiのクリスマス(?)パーティはまだまだ続く様子でした。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:15
| 2002年12月の日記
こちらは全くと言っていいほどそんな感じじゃないけど、クリスマスですね。ネットカフェのマネージャーにクリスマスプレゼント(飴玉5つ)をもらいました。うれしいですね、こういうの。 さて、私は前回のChaiで「カンボジアでクリスマスを感じよう!」計画に失敗し意気消沈だったのですが、昨日再び街にくり出しクリスマスツリーとクリスマスソングを探してしまいました。うちの近所の教会でクリスマスパーティをやっているという情報を入手したので行ってみると、確かにパーティはやっていましたが、なぜかアプサラダンスでした。アプサラはアプサラでいいけど、やっぱりクリスマスソングが聴きたい… ということで、めったに行かない(入ったことは一度もない)欧米人で賑わうプサー・チャ周辺のバーへ。中には入らず外側から様子をうかがってみたけど、ツリーはチラホラ見えるもののソングは聴こえてきません。それでも店員がサンタの帽子をかぶっているのを目撃し、「あ、クリスマス。」と思いつつ「なんかムリあるなぁ。」と笑ってしまいました。 カンボジア人はイヴを知らないので今日が唯一のクリスマスです。今日こそ街でクリスマスソングを聴きたいなぁ。大型ホテルではひっきりなしに流れているらしいのですが、大型ホテルは外観に圧倒されてしまって中に入るにはちょっと勇気が…昨日もセンチュリーを見に行ったけど、キラキラがすごくてビックリ。一体どれだけの電気を使っているのかしら…ロビーに大きいクリスマスツリーが飾ってあるのが見えました。 少しでも気分を盛り上げようと、昨日は日本から持ってきたCD「クリスマスソング集」を聴きながら寝ました。(でも2曲目くらいまでしか覚えてない…)みなさん、メリークリスマス。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:14
| 2002年12月の日記
新年明けましておめでとうございます。こちらは全くと言っていいほどそんな感じじゃないですけど、お正月ですね。初日の出はプノム・クラオム山頂から見ました。きれいな日の出でしたよ。 2002年は私のカンボジア生活がスタートした年でした。こちらに来てからはあっという間だったような気がします。2003年は日本語教師として成長していける年にしたいと思います。今年も良い年でありますように。管理人様はじめ皆々様、今年もよろしくお願いします。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:13
| 2003年1月の日記
年末、26日から4日間ほど旅に出て、コーケーと大プレア・カンを見てきました。3泊4日のうち2泊は村の民家に泊めてもらったのですが、夜は寒くて、毛布もないし、床にごろ寝なので身体は痛いしで、よく眠れずしっかり風邪をひいてしまいました。丸2日ほどカンボジアの森の中をバイクで走り続けて思ったことは「人ってどこにでも住むんだなぁ」ということでした。いたく感心いたしました。電気がなかろうが水道がなかろうが、鶏が鳴くとともに起きて、日が沈むとともに1日が終わる。ジャングルだろうが地雷だろうが、道を切り開き、牛車で村から村へと物資を流通させる。「強い」と思いました。ちょっと停電しただけでキャーキャー騒ぐ日本人は、こりゃかなわんわ。という感じでした。まぁ、育ってきた環境の違いというのはどうにもなりませんが。 コーケーはコンポン・クデイで左折すればシェムリアップから1泊2日で行けます。コーケーのピラミッド頂上からプレアヴィヘアが見えたのには感動しました。2ヶ月前に大変な思いをしてたどり着いたプレアヴィヘアへの旅を思い出しました。カンボジアの夕日を浴びて密林の中にひっそりとたたずむコーケーは神々しいです。アンコールの遺跡とは違う不思議な魅力を感じました。 大プレア・カンは、がんばればコンポン・トムから日帰りできます。大プレア・カンは不幸な遺跡でした。彫刻という彫刻は無残に削り取られ、まだ新しい白い岩肌があらわになっていました。ドライバーの話では、タイがカンボジア政府に大金を払い削り取らせたそうです。その話が真実かどうかはわかりませんが、カンボジアに数多く残された貴重な遺跡や美しい彫刻は、カンボジア人にとっては、私達外国人が考えているような貴重な過去の遺産というようなものではなく、金のなる木、貴重な収入源なのかもしれません。かつてそこに微笑みながらたたずんでいたであろうデヴァダーの身体ごと削り取られた跡を前にして、そんなことを考えました。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:12
| 2003年1月の日記
お正月早々風邪をひいてしまい引きこもり状態でした。さらに久しぶりに本格的にお腹を壊してしまい大変でした。今日はカンボジアは祭日。「ポルポトから開放された日」だそうです。嬉しいことに学校はお休み。ゆっくり休めます。 この街に二つある信号機のうち、プサー・ルーに近い方の一つがここ一ヶ月くらい壊れていましたが最近ようやく復活しました。壊れた原因はわかりませんが、おそらく大型トラックか何かが衝突したものと思われます。信号機はおまわりさんがいないと守らない人も多いので、かえってある方が混乱を招くかもしれません。ルールを守ろうとする人と守らないのが当たり前の人がいるので…ルールを守って歩行者ランプで渡ろうとする人にバイクが平気で突っ込んできます。だから信号機があるからといって安心出来ません。むしろない方が安心感が全くなく、常に周囲に気を配っているので安全かもしれません。 それにしても、ちょっと前に比べるとなんと交通量の多いことか。夕方になると「渋滞」が発生します。遅刻しても「すみません、道が混んでて…」という言い訳が通用するようになってしまいました。特に車が増えました。今、シェムでは非常に安く中古車(乗用車)が手に入るそうです。みなさん、ちょっとお金が手に入ると車を買うみたい。そして大型トラックも多いです。もうもうと赤土を巻き上げて走っていきます。国道6号ですらあまり大きい道路ではないのに、ここはすごく小さい街なのに、こんなに交通量が多くて大丈夫なのかしら。交通量の多さに比例して道が良くなっているわけでもないのですが… 交通量が多いといえば遺跡公園内も相当なもの。シーズンともなれば、大型バスが何台もワットの前に並びます。最もすごいのは夕日の時間。プノン・バケンの前はバス、バス、バス…そして山頂は人、人、人… 夕日を見るよりむしろその光景を見ている方がおもしろいです。私は見に行かなかったのですが、ワットに初日の出を見に行った友人の話によると、なぜだかわからないけれどこれでもかってほどに日本人が多かったそうです。欧米人はチラホラという感じ。そして欧米人は朝日ではなく、池の前にきれいに整列して座っている日本人を興味深そうにカメラにおさめていたとのことです。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:11
| 2003年1月の日記
寒いです。ここ最近、私の部屋の扇風機は活動していません。昼間ですら私の部屋はひんやりとしています。もちろん、外に出ればそれなりに暑いのでしょうが、朝・夕は半袖で出かけられないほど寒いのです。カンボジアの「冬」です。 私は朝6時から授業があるため6時前にはうちを出るのですが、外はまだ暗く、そして寒い。6時からの授業といっても、6時に来る生徒は一人もいません。6時5分くらいにようやく一人二人姿を現します。特に最近は寒いし暗いので、前にも増して集まりが悪くなっています。まぁ、その気持ちもわからないではない… 窓は閉めて寝るのですが、それでも毛布をかぶっていないと寒いです。夜は8時まで授業なので、帰りも寒いのです。毎日水シャワーがツライ… 最近、パンシーホテルのある川沿いの通りに「モロッポー」というカフェレストランがオープンしました。オーナーは日本の方だそうで、日本語で書かれたメニューや日本語の本が置いてあります。値段も安く、料理はすべて$1でした。(味も値段に見合っています。)そしてこの「モロッポー」には露天風呂があるのです。この水シャワーがツライ時期、熱い湯に浸かって星空を眺められたら幸せだろうなぁ…と思うのですが、一風呂(?)$2はきついです。2000リエルくらいなら1週間に3回くらい行っちゃうんだけどなぁ。ネットカフェみたいに一ヶ月契約とかしてくれないかしら。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:10
| 2003年1月の日記
掲示板の方で「どういう経路でシェムリアップで働くことになったのですか」という質問がありましたので、日記ではないのですがこちらの方に書かせていただきますね。まぁ特に語るような衝撃的な出来事や運命的な出会いがあったわけでもなく、ましてや立派な志しがあるわけでもないのですが… 私は学生時代、大学で美術史を専攻していました。卒業論文のテーマに「アンコール遺跡」を選んだ私は必然的にカンボジアへ来ることになったのですが、回を重ねて来ると自然と友達ができるんですね。大学を卒業してからは遺跡を見ることよりも友達に会うことの方が楽しみだったりしました。それで何回目かにここを訪れたときに、いつも利用していたGHの近くに日本語学校ができてました。最初はただの好奇心で、「こんなところに学校ができてる」と思って中に入っていったのです。その時ちょうど授業中だった校長先生と知り合い、話を聞いているうちに「日本人の先生がほしい」と言われ、そろそろここに住んでもいいかなぁと考えていた私は「私でよければ来年から来ます。」と速効で返事をしたわけです。 私は日本語を教えたくてここに来たわけでもないし、日本語教授の勉強をしたわけでもありません。偶然見つかった就職先に「だめもと」で飛び込んだだけです。でも今はその判断は正しかったと思っています。学生時代、旅行で遊びに来ていた頃と今では見えているものももちろん違うし、あの頃のように「カンボジア大好き!」と手放しで言えるほどこの国に関して無知でもなくなりました。それでも、ここで地に足つけてがんばってみよう。生徒の真剣なまなざしを見る度にそう思わずにはいられないのです。 #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:09
| 2003年1月の日記
今朝、目を覚ましたら左手首に激痛が… 寝ている間にひねったんだろうか。痛いよぅ。 この前の土曜日、生徒と一緒にバンチャエウを食べに行きました。バンチャエウとは黄色いペーパーライスみたいなものに野菜と肉をはさんでたれを漬けてガブッと食べるものです。生徒はベジタリアンなので肉入りバンチャエウは私だけ。大量の野菜がドカッとテーブルの上に乗っています。いつも思うのだけど、カンボジア人ってホントになんでも食べます。日本人の私からしてみれば「これ草じゃん!」っていうものも「おいしいよ。」と言って食べます。中には本当においしいものもありますが、食べてみて「やっぱり草だ…」っていうものもあります。まぁ、身体にはいいのでしょう。バンチャエウの野菜はレタスときゅうりと、あとは香草です。手掴みで黄色いペーパーにはさんでくるんでたれに漬けてガブッ。…おいしい。ガブッガブッガブッ… 野菜とペーパーとほんの少しの肉だけなのにかなりおなかいっぱいになりました。国道6号を西バライ方面に行った所の右手にあるレストランで食べたのですが、生徒曰く「昔、シェムリアップにはこのレストランしかなかったのでみんなここに来ていたのに、今では誰も来なくなってしまった」らしいです。確かに、ちょっと街から遠いもんなぁ。でも、ホントおいしかったので、機会があったら行ってみてください。夕方行くと、きれいな夕日がおまけについてきます。 バンチャエウを食べたあと、そこから100Mほど先にある「セブンパラダイス」というGHへコーヒーを飲みに行きました。このGHはかなり街から離れているにもかかわらず欧米人には密かに人気があるみたい(?)です。西バライのすぐ近くにあるこのGHでは、毎月満月の夜にパーティが開かれています。スイミングプールがあって、宿泊客でなくても一つドリンクをオーダーすればただで泳げるそうです。オーナーは欧米の方で、家族で経営しています。街にたくさんあるせせこましいGHよりもゆったりできて雰囲気もGOOD。交通の便は悪いものの、ただのんびり本を読んだりして過ごしたいという人にはもってこいの場所だと思います。生徒に「今度はプールに泳ぎに来ましょう!」と言われたけど、もう何年も着ていない水着を着る勇気はなく、丁重にお断りしました。バライだったら服のまま泳げるしタダだから行ってもいいんだけど。(←ケチ) #
by PPmakara
| 2006-10-31 23:08
| 2003年1月の日記
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